まずは簡単に自己紹介させていただきます。ぼくは名古屋生まれですが、育ちは高校まで埼玉県です。一風変わった県立の男子高校でしたが、ここで口酸っぱく「どんな小さな歯車でもいいから、社会の中で『この人がいないと困る』と言われる男になれ」と言われ続け、医師を目指したのを覚えています。高校卒業後に名古屋市立大学への入学を期に名古屋へ戻ってきました。大学卒業後は名古屋記念病院で初期研修をして、研修後はすぐに大学へ帰局し、造血幹細胞移植を含めて血液学の臨床の基礎を作りました。その後は関連施設で臨床経験を積み、大学院入学のため卒後9年目に大学へ再度帰局し現在に至ります。
この間、本当にさまざまな出会いがありました。
ぼくを血液・腫瘍学に引き入れてくださったのは学生時代に教室主任だった先生で、当時医学部5年生だったぼくに標準治療の大切さとそれを確立することの難しさを教えてくださり、その中でどんどん進歩していく血液学の魅力に惹かれました。当時から教室にいらっしゃった先生方はそれぞれが臨床ならびに基礎的な研究にとても積極的で、この姿勢にも強く感化されました。そのとき指導いただいていた先生に、「君が診療の中で困難に感じたことは、世界のどこかに必ず同じことを悩んでいるドクターがいる。その経験を発表という形で分かち合うことは間接的にその患者も救うことになる」とお教えいただきました。それ以降、初期研修まで含めてたくさんの発表・報告をする機会に恵まれました。さらに勉強し続けて、目の前の患者さんにできる限りのことをしたいという思いを強めました。
血液・腫瘍内科へ入局してからは、とにかく患者さんから話を聞いて身体所見をとって、患者さんから学ぶように努めました。また、患者さんにこちらの考えや思いを伝えるよう努力しました。ぼくはなるべく患者さんとその家族の人生に寄り添って、一緒に疾患と戦っていく姿勢で診療するようにしています。最初に疾患の話をするときには辛い思いに共感し、治療が効いたときには喜びを分かち合います。しかし同時に、今の標準治療や医学的な限界を感じずにはいられませんでした。
現在大学院では、臨床で経験したCAR-T細胞療法をはじめとする分子標的治療に関する研究を進めています。これこそぼくなりの「社会の歯車」であると感じています。研究は仮説を立てて行いますが、予想通りの結果が得られないこともあります。そのときにそれが何故なのか考え続ける姿勢は別の結果を生むと考えています。こういった経験はすごく刺激的ですし、研究で得られた知見を報告することで世界のどこかの役に立てたらそれはとても嬉しいことです。
大学院に興味のある方もそうでない方もいらっしゃると思いますが、それぞれの持つ個性をよく評価し、活かしてくれる医局だと思います。ぜひ一度見学にいらっしゃってください!