血液・腫瘍内科学分野は、平成26年5月に産声をあげたばかりの新しい教室です。本教室の創設に至る歴史を紐解いてみます。
昭和25年4月、旧制名古屋女子医科大学と新制名古屋薬科大学が合併し、名古屋市立大学が発足しました。名古屋女子医科大学は名古屋市立大学医学部(旧制)となり、附属医院は名古屋市立大学病院と改称しました。
血液・腫瘍内科学分野の源流は、昭和34年5月から斎藤宏教授が初代教授を務められた名古屋市立大学医学部第二内科学講座に遡ります。斎藤教授は京都帝国大学のご出身で、ご専門は消化器病学、特に肝疾患の臨床・研究で、多くの優れた臨床医・研究者を輩出されました。
昭和42年に旧第二内科学講座の第二代教授として名古屋大学から滝川清治教授が就任されました。滝川教授のご専門は、血液病学、なかでも白血球の代謝および機能に関する研究、白血病の早期診断ならびに化学療法、各種血球細胞の細胞化学的および電顕的研究でした。国際血液学会・アジア太平洋地区総務局長を長年務め、昭和52年第19回日本臨床血液学会総会会長を務められました。滝川教授のご指導の下、多くの先輩が血液病学を専攻され、門下生の一人に愛知医科大学第二内科教授に就任された小栗隆先生がおみえです。また、消化器病学、呼吸器病学、臨床免疫学・神経病学の分野でも優れた専門家を育て、旧第二内科の多彩な研究グループの基礎が出来上がりました。
昭和53年に旧第二内科学講座の第三代教授として名古屋大学出身の山本正彦教授が就任されました。専門は呼吸器病学で、特に肺結核、非定型抗酸菌症(現在の非結核性抗酸菌症)、サルコイドーシスなどのびまん性肺疾患の研究に優れた業績を数多く上げました。また自由な雰囲気の中で、呼吸器病学のみならず消化器病学、神経病学、循環器病学、血液病学、膠原病学の分野においても多くの優れた専門家・研究者を育てられました。血液グループのチーフを務められた御供泰治先生は名古屋市立大学看護学部教授に着任され、その後でチーフを務められた仁田正和先生は、第四代の上田龍三教授の時代に愛知医科大学第二内科(のちに血液内科学)教室の教授に就任されました。
平成7年に上田龍三教授が愛知県がんセンター研究所から、第四代教授として着任されました。それまでの教室の診療・研究を継承しつつ、上田教授の御専門である腫瘍内科学がもう一つの研究の柱となりました。数多くの優れた業績を挙げ、とりわけ抗CCR4 抗体(Mogamulizumab)を用いた成人T 細胞白血病に対する治療開発・研究は、がん治療の分野で国内初となる抗体医薬品として平成24年3月に承認されるに至り、難治性悪性腫瘍に対する新たな治療法の確立に貢献しました。さらに厚生労働省研究班班長や文部科学省がん特定研究代表などを歴任し、平成20 年には第67 回日本癌学会会長を務められました。一方、呼吸器、膠原病、循環器、神経、消化器など、各グループの研究も推進され、現在の当大学遺伝子制御学 近藤豊教授、ウイルス学 田中靖人教授、神経内科学 松川則之教授も研究を共にしました。上田教授は、平成13 年5月には名古屋市立大学病院副病院長(~平成15年3月)、平成15 年4月からは病院長(〜平成19 年3月)を務められ、平成20年4月からは名古屋市に新設された病院局の初代局長を兼務、名古屋市立病院群の再編・改革にも取り組まれました。
旧第二内科は、大学院部局化により神経グループが平成13年に新設された神経病態学(現神経内科学)へと独立し、平成14年4月に臨床分子内科学へと名称が変更されました。さらに平成18年には名古屋市立大学内科学分野の再編成が行われ、臨床分子内科学は呼吸器・血液・膠原病を、臨床機能内科学(旧第一内科)は消化器・代謝内分泌を、臨床病態内科学(旧第三内科)は循環器・腎臓を担当することになり、旧第二内科の消化器グループと循環器グループがそれぞれの分野へ移動しました。そして平成19年4月には内科の組織改革に伴って臨床分子内科学は腫瘍・免疫内科学へとその名称を変えました。
そして、平成24年3月に京都大学大学院医学研究科から、新実彰男教授が腫瘍・免疫内科学分野の第五代教授として着任されました。専門は呼吸器病学で、特に喘息および慢性咳嗽における臨床的および基礎的研究を展開しています。
平成26年5月には、血液グループが、血液・腫瘍内科学分野が新設・独立し、初代教授として飯田真介教授が就任されました。現在の血液・腫瘍内科学分野は、造血器腫瘍を含む血液疾患のみならず、化学療法部スタッフを中心に原発不明がんや各種の成人肉腫などの薬物療法も担当しています。
造血器腫瘍およびがん患者の力になるべく臨床・研究に精進してゆきます。新教室の歴史は、今始まったばかりです。